これはハヤテの歩んだもう一つの『IF』の物語――の、執事編。
自らの執事をやらないか、と少女は言った。その言葉に対して、言葉を失ってしまった。……それはつまり、自らを三千院家と云う豪邸に住まわせて、自らの身の回りの世話、そして前の様に誘拐されそうになった時は、守ると云う一種の守護者なのである。
その様な職種を与え様としているのである、言葉を失う事も無理は無い。
如何考えても、守護をする事柄以外に関しては、今目の前に突きつけられている紙に書かれている事柄では、給料も凄まじいものであり、これが本当に通常の人間が――普通の執事が貰う給料の額なのであろうか――。加えて、住まいも提供すると云うVIP待遇である。
開いた口が塞がらない……この様な場所に本当に住めるのであろうか? あの両親に着いている時は夢のまた夢、普通の家に住む事も不可能だったあの頃。その普通を通り越し、一気にこの豪邸に住めるのである。
一つ、心臓が飛び跳ねた。誘惑されているのである、体中に嫌な汗が流れる。まだ一月だと云うのに、体が熱い、喉が渇く、アドレナリンが騒いでいる――興奮しているのである。今直ぐにでも、了承の言葉を出してしまいそうな状況なのであるが……悩んでいる、ハヤテは、今その了承の言葉を出す事が出来なかったのである。
目の前に笑顔で存在している少女とは裏腹に、何か罪の意識を感じているのである。
「――ぁ……ぅ……」
声が喉で詰まって、出て来ない。出そうと思う言葉も、出すまいと思っている言葉も、全て、出て来ないのである。
その光景を不審に思ったのか、目の前で笑顔をしていたナギも、少し表情を曇らせる。それでも、矢張り、そのハヤテの顔が蒼白な事に、気付いているのである。
「どうした?」
耐えかねたナギが、ハヤテの顔を覗き込み、そう問う。先程の曇らせていた表情が心配している表情に変化した。
一方の、ハヤテは、頭を抱えながら、様々な事柄を考えて――
〝僕は……ダメだ……〟
その結論に辿り着いたのである。
「――すみません、僕にはその誘いを受ける事は出来ません」
返って来た言葉に、ナギの顔が変化する。目を見開き、何故、と言った様な顔である。断わられた事が信じられないのであろう。無理も無い、資産家のこれ以上は無い条件の誘いを断ったのである。この誘いを受けていれば、一生苦労の無い人生を送れるのである。
それを今、目の前で断わられた……
「どうしてだ? 解った、危ない仕事があるかと思っているんだな。大丈夫だ、私の守護はSPがやる、お前は私の世話だけをしていれば大丈夫だ!」
「……それでも、僕にはお受けする事が出来ません。本当に申し訳ありません……」
それでも尚、やらないと云うハヤテに対して、ナギは顔を不貞腐れたかの様に膨らませ、言葉を紡ぐ。
「――なんだよ、折角私が態々学校まで来て誘いに来てやったのに……」
そう言って、生徒会室を出て行った。その後姿を眺めながら、ハヤテはこれで良いんだ、と言葉を心の中で繰り返した。
もし、あの場所で三千院ナギの執事になれば、明日にある筈の執事VS執事 NEXT PLUSで、ヒナギクは執事不在で失格になってしまうのである。――そして、それ以上に、命を助けて貰った彼女に、此処で直ぐにナギに乗り換えたなどとは、口が裂けても言えなかったのである。
緊張から解放されて、一歩後ろに下がり、ソファーに腰を掛ける。柔らかい感覚が、ハヤテの下半身を支配する。これ程座り心地の良いソファーは他には無いのであるが、今その様な感触を味わう様な余裕は無く、今先方まで目の前で行なわれていた、自らと、ナギの話の内容が未だに回っているのである。
――自らの執事をやらないか――
その言葉が頭を離れない。あの少女の言葉、そして、感覚――加えて、この間ヒナギクに聞いた話によれば、三千院ナギと云う少女は、今まで様々な思惑の大人に翻弄され、誘拐などを繰り返され、外の世界は怖い世界と、幼い内に認識してしまい、学校にも余り来ないと云う。
そのナギが、自らの為に、この場所に来たと云う事は、相当な感覚だったのであろう。それを考えると、本当に断わって良かったものか……だがあそこで了承していれば……――その様な思考が回っているのである、ループして、抜け出そうとしないのである。今、ナギの事を考えれば、断わった理由としてヒナギクの事を挙げる。だがそれに対して、更にナギの心境を考える、そして理由として再びヒナギクの場所へと行く。――まさに、メビウスリングの様に終わりの無い思考なのである。
駄目だ。ハヤテは勢い良く、何時の間にか体を預けていたソファーから飛び上がる。此処で考えていても仕方が無い――いや、何処で考えても同一なのであるが――ハヤテは生徒会室から出る事にした。ヒナギクは確かに、授業の邪魔をしなければ校舎を眺めていても良いと言ったのである。此処は、その言葉に甘えさせて貰う事にする。
生徒会室の巨大な扉を開いて外に出る。この時計塔の生徒会室には階段と云うモノが存在していない為に、エレベーターを使う事で、一番下まで降りる事が出来るのである。教室の存在している階層同士は階段が設置されているのであるが、如何せん、生徒会室の設置されている場所が上過ぎるのである。
パネル操作は通常のエレベーターと何等変わらない。何時もエレベーターを操作する時と、同じ手順でエレベーターのパネルを操作すると、轟、と音を立てて、エレベーターが此方側に向かって来ている事を感じる。
……ベルが鳴った。辿り着いたのであろう。ハヤテが目を瞑りながら一つ深呼吸をした後に、開いたエレベーターの向こう側へと踏み込もうとした所で――
「お」
「ふむ」
「――……えーと……」
二人の少女と邂逅した。
二限目が終了した辺りで、廊下に出て再び泉と顔を合わせる。何時も通りの笑顔であるが、長年この少女と付き合っていると、その笑顔の中にも微妙な変化と云うモノがあると云う事を知るものである。
……成る程、それから察するに、二限目にも二人は出なかった、と云う事である。恐らく、見付かってしまった泉を囮にして、休んでいるのであろう。
「うう、ヒドイよぉ……」
「何がよ、もぉ。貴女もサボろうとしてたでしょ」
「ヒナちゃんきびしぃー」
「厳しくありません! 当然の事でしょっ」
ヒナギクの言っている事柄は尤もである。勉学あってこその学院なのである。それを放棄すると云う事は最早学院の意味を成していない。無論、人格の構成、他にも友人との交流などが存在している事はしているのであるが……この少女は兎に角、友人との交流だけは有効活用しているであろう。
――さて、それは兎も角として如何したものか。行方不明の二人を如何にして授業に戻すのか……先程考えた時は、昼休みに探しに行くと云う事柄であったが、今冷静に考えてみると、その様な事をしても、結局午後からの二つか一つの授業をするだけなのである。それでは意味が無い、もう少し別の方法があれば良いのであるが……
理想とする方法は、自らもこの授業に出つつ、行方不明の二人を連れ戻すと云う矛盾極まりないと云う方法である。この矛盾を突破する事が出来れば、完璧なのであるが、その様な都合の良い方法などは――
そこまで考えた所で、ヒナギクに一つの事柄が過ぎる。
「あった」
「――?」
ヒナギクの突然の閃きに、泉は首を傾げた。そんな泉を放っておいて、ヒナギクは携帯電話を取り出して、急いで電話を掛ける。後少しで、授業が始まってしまう。その前に、あの少年に電話を掛ける必要があるのである。
「もしもし……ハヤテ君? お願いがあるんだけど……」
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