これはハヤテが歩んだもう一つの『IF』の物語―――の、執事編。
片手で仮面を直すしぐさ……それを視て、前に、随分前に三千院ナギが誘拐された時に現れた姫神と云う男を思い出したが……もし、本当に彼がこの仮面の男であれば、違和感も、そして余裕の物腰も頷ける。
戦闘開始の音が鳴って、既に三十秒以上。変化があるのは、仮面の男の後ろで腕を組んで仁王立ちしているナギだけ。時折欠伸をしたり、辺りを見渡したりしているだけ。ハヤテに関しては相手の動きを警戒するあまりにまったく動けないでいた。
隣で同じく、竹刀を構えているヒナギクは、そんなハヤテに対して叱責をしたかったのであるが、同じく、相手の違和感と威圧感に動けないでいたのだ。
第三者から考えれば、本当にたいした事のない感情。どうして動かないのかのブーイングにつながるだろうが―――実際にその場所に立ってみればわかる。威圧感とは、得体の知れない相手を目の前にしての、どう動けばいいのか……? と云うプレッシャー、極度の緊張だと云う事に。当事者にしかわからない、感情なのだ。
しかし、ヒナギクはいつまでもそこで立っているほど我慢強くなかった。一直線に、まっすぐに、誠実に、裏表なく……彼女とはそう云う人物だ。
―――手に持った竹刀を片手で構えて、左手を振りながら一気に駆け抜ける。長髪が揺れる、目の前の存在している仮面の男に向かって……ここでナギに向かわなかったのは、彼女なりの〝優しさ〟だったのであろうが、〝甘さ〟でもある。真剣勝負の中で甘さを見せる、すなわちそれ……敗北につながる一手だ。
気合い一閃。小さな、息を吐くような声をあげて、横一線に竹刀を振りかざした。直撃すればダメージを、運が避ければ一閃で彼のネクタイを貰う事が出来るだろう。考えて、少し上側の胸元を目掛けて一閃した。
刹那、殺気に気づいた彼女は後ろに下がった。
見ていたハヤテは何があったのか気づかなかったが、仕掛けたヒナギク自身には何かを感じたのだろう。案の定、目を凝らしてよく見てみると、男の立っている場所がごく僅かに、動いている事が窺える。
一瞬の間に何かがあった。さらに後ろに下がってくるヒナギクが、ハヤテの隣にやってくると口を開く。
「…………油断したわ…………」
なるほど、あの一瞬の内に、ヒナギクが竹刀を振り、刹那の内に下がり、彼の拳が二、三発放たれたと云うのだ。……何と云う早技。第三者として後ろで眺めていた自分の視力では追いつく事が出来なかった。当事者のみがわかっていた戦いの火花、か―――唾を飲む。
「ううん、正直私も、反射神経で動いたようなもの。意思があって動いたんじゃなくて…………遮二無二、本当にギリギリの場所で避けたと思う」
「そんな―――ヒナギクさんほどの人でも……?」
無言で頷く。
「……なら次は、僕が行きます」
「待って、私も……」
二対一―――そうなった時に彼がどのようなアクションを見せるか……気になるところだ。
アイコンタクトで合図をして、二人で一気に駆ける。ハヤテは右手に持った木刀に、左手を添えて、ヒナギクは竹刀を両手で握り―――両方の一閃を交錯させて一気に男を狙う。同じく、運良ければネクタイを破棄する事が出来るかもしれないと云う淡い期待も抱いて、自分たちが放つ、交錯する二つの線を眺める。
放たれた一閃は、二人同時でも、必ずしも同一ではない。時間同一線上に存在している代物ではないのだ。必ず、どこかに誤差が存在している。
その隙間を―――――縫って避ける。
一撃を放った後の二人は反射的に先に走って、後ろを振り向くと、時には既に襟を直す男の姿があった。完全に、躱された。動きが読まれていたとでも云うのかのように、二人の一閃を同時に躱した。
本来のモノであれば、二つ来る線を、一つの動作を持って避ける。息の合った、完璧な一撃であれば尚の事、一撃で避ける事が望ましい。
だが達意に上り詰めた人間は考え方が違う。時間同一線上に同じ一撃が存在する事はない。すべてが、一撃ずつの代物なのだ、と考えているのだ。動体視力をすべて活用し、脳の使い方を〝視る〟と云う行為のみ特化させる。すると、まるで一つの動作が書物の一ページかのように見える。一つの線を最低限の行動で避け、次の一閃を別の動作で動く。……動く数はこちらの方が多いが、確実に相手の一撃を避ける事の出来る手段でもある。
やってのけたのだ、その不可能の領域を―――目の前に居る仮面の男は平然と、自分たちの同時の一撃を完全に〝殺して〟みせた。
走り抜けて、フィールドの端にまで来ていた二人であったが、すぐそこにナギが居ると云うのに、そのまま背中を向けて、男に向き合う。一撃を避けられた事が信じられなかったようであり、周りが見えていない。だとしても、それ以上に、彼を倒さなければ、この先の執事に対抗する事が出来ないと考えた事もある。
主をフィールドアウトする事も一つの合理的な手段であるが……目の前の男が許すとは思えない。
竹刀と木刀、それぞれを握り直して、再び駆ける。フィールドすべてを使い、勢いをつけた二人の一閃が、再び放たれた。
今度は避ける事すらしなかった。完全に二人の動きを読んでいたと言わんばかりに、その手を使って二人の攻撃を受け止めていたのだ。片手白刃どり―――信じられない動体視力だ。
だがそこで終わる二人ではない。捕まれたと云う事は逆に考えれば、逃げられないと云う事でもある。持っている得物はそのままに、体を捻らせて、脚を一気に男の脚に、体に向かって放つ―――
鈍い音が響いて、直撃した。避ける行動など何一つせずに、蹴りを自分の体で受け止めたのだ。手加減一つしなかった蹴りは当然男の体に深くめり込んでおり、鈍い音を放ったのである。……鈍い音を……
「普通って―――」
「―――乾いた音ですよね……?」
肌に直撃しなくとも、本来ならば乾いた音がするものなのだが、鈍い音。
鋼の体。筋肉と云う鋼に包まれた肉体に蹴りを入れた為に、乾いた音ではなく、筋肉と脚がぶつかり合う、鈍い音が響いたのである。
咄嗟に脚を引いた。後ろに下がろうとしても、竹刀と木刀、両方を持っていかれたままの状態では……無理だ、動けない。
気合い一閃、ふ、と一つ、息を吐いたような声をあげて男の体が動く。二つの手で、二つの得物を持ったまま、一回転して、二人の体制を崩すと、空いている脚でまずはハヤテのあがっていない、軸の脚を狙って、鋭い一撃が襲いくる。
宙で一回転して、背中からハヤテが落ちると、背骨が鈍い音を立てた。折れては居ないだろうが、クッションとなった筋肉は妙な痛みを放っている。同じように、一回転して背中から落ちているヒナギクの姿も見えた。
急いで体制を立て直す事にする―――ヒナギクはともかく、自分はネクタイを取られた時点で敗北が決定する。手を伸ばされる前に、逃げる。
腹筋を使って一気に立ちあがると、勢いそのままに一回転、受け身を取って体制を立て直す。見方によっては新体操に見える、周りの観客からは美しさから感嘆のため息が響く。当然、当の本人にはそのような事にリアクションしている暇は存在していない。
こちらは体制を立て直した。ヒナギクはどうしたか……? 眉をひそめながら向こう側に視線を移すと、同じように逃げる事に徹しているようだが…………竹刀をつかまれたままで身動きが取れないでいた。
息を吸い込んで、駆け抜けて助けに入る。彼女に専念しているのなら、こちらの一撃が通る可能性もある。甘い期待を抱いて走る。
左足を手前に出した時点で体を螺子にたとえる―――――一本の螺子に例えて、左足を軸にして半回転。腰に力を乗せて木刀を振るう。風を斬る、重い音が響く。軽い一撃なら乾いた音に響くのであるが、力の込めた思い音なら、鈍い音が響く。
斜め上へと、持ち上げるような一閃が男を襲い――直撃するはずだった。恐らく、木刀を振るう鈍い音が聞こえたのだろう、一瞬の内に行動するべき事を理解して、ヒナギクを抱えたまま体を捻らせて避けたのだ。
木刀の軌道はそのままに、しかし、やはり彼女を抱えたままでは避ける速度が鈍くなったのか、先端が仮面に直撃した。
乾いた音が響いて、仮面が反動でずれた。そこにある顔を、ハヤテはどこかで見た事があったのであるが、思い出せないでいた。
名前は、ヒナギクが叫んだ事で、明らかになる。
「―――く、クラウスさんッ!?」
白髪の老執事は、咳払いを一つして―――再び仮面を着けた。
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