これはハヤテが歩むかも知れなかった、
運命の夜の輪廻を違えた、
別の―――『IF』の物語。
その執事編。
第37話
勝てないと悟った。これからの執事の戦いの中では彼以上の能力を持っている人間も居るのだろう。これでも、全盛期以下の能力……
「……クラウスさん……」
「―――なんだね……」
「……僕に、戦い方を指南してください」
「執事でもない、一般のキミに、何故戦いを教えなければならないのだね……?」
それはそうだ。今日と明日―――その間に行われる執事VS執事が終われば恐らく自分はこれ以上戦闘能力を行使する事はないであろう。三千院ナギのように、狙われる事は、桂ヒナギクにはない。戦う為の力を日常的に持つ事は、逆にトラブルを引き起こす。
解っていて、頼んでいる。クラウスはハヤテが必要無いほど、何かを持っていると気づいている。互いの気持ちはすれ違う。
要らない力を持つ事は強みにも何もならない、ただ愚かなだけ。それが人を傷つける、暴力に特化した代物なら尚の話だ。そしてそれは愚かさを忘れて、同じ過ちを繰り返してしまう。結果、壊れてしまう人間も多く存在している。―――力に溺れたいのであれば、格闘家にでも転身すれば良いのだ。
「キミはもう既に、人よりも優れた戦闘術を持っているではないか……ワシが気づかないとでも思うかね? キミは昔、何ものかに戦い方を教えられている―――。しかも高度な……」
息を飲む……間違えていない、見抜かれている事に驚きを隠せない。いや、もう先の時点で本当は解っているのではないのかと思っていたのだ。予想の一つの答えが返って来たと考えた方が良い。
―――確かに、ハヤテは幼き頃に二人の師によって身を守る術を、人を守る術をそれぞれ教えられている。片方の人間は、逃げる事の多かった自分がいざと云う時の為に知っていた護身術を指南してくれた。もう片方の人間は、『執事』として、主を守る術を教えてくれ、自分の才能を見抜いて引き出してくれた。そして教えられた事を忘れた事もなければ鍛錬を怠った事もない。今日まで、常に自分に厳しく、鍛錬を重ねて来た。休みなど一度もなく、ただひたすらに、彼女の言った通りの代物を繰り返して来た。
身を守る術を教えた〝彼〟の方式をベースに、人を守る術を教えてくれた〝彼女〟の方式を重ねた。……今行っているのはそれだ。昨日も、一昨日も―――そして恐らく、今日も明日も、続けるだろう、それが誓い。
「充分過ぎる戦いの能力に、さらに戦いの術を教える事は出来んよ。無駄な力をつける事は、それだけでも危うい代物になってしまう。それに、今自身、安定しているキミの動きを逆に崩す事にもなりかねない」
掛けている眼鏡をあげて、クラウスはそう説いた。
―――お前には教えるものは何一つないと―――持っている力に自信を持てと―――そして、今まで自らを教え、説いて来た二人の師を信じろ。そう言っているかのようであった。
…………何を恐れていたのであろうか? 自分はヒナギクを優勝に導かなければならない。その念にだけ囚われ、戦いで敗北するのを恐れていたのだろう。その時、彼女がどのような反応を取るのか、自分がどうするのか―――以上の恐れが、ハヤテのその力に疑問を覚えさせる、不安を覚えさせる。
一瞬の気の迷いが、今のような行動にさせたのだろう。今ある力でも充分だ。自分に自信を持てと…………
拳を作って、頷く。一つ彼に礼をしてから、踵を返す。
小さくなって行く背中を眺めていたクラウスは、青年の可能性と云うものを感じていた。もし、彼が三千院家の執事になってくれたのなら……いや、良くない考えだ。だとしても、今、自らの主に必要なのは、彼のような……真直ぐな、強い信念を持った剣と盾なのかも知れない。
× ×
結果として、氷室が思った通りの組み合わせになった。あまりにも解り易く、笑いが出て来た。
―――今のところ特化して問題視している人間はそこまで存在していない。……あえて言うのであれば……登場早々に決着を着けた東宮家の執事である野々原楓ぐらいであろうか……? 一応、気になっている桂家の執事に関しては、あの試合は勝つと解っていた。
それに、楽しみは最後まで取っておくべきだ。相手の戦略を予想しながら待つと云うのは、それなりに楽しいものだ。真直ぐ過ぎる彼は、必ず、どこかで巨大な壁に辺り、挫折する。さて、それを乗り越えて来る事が出来るか、それともそのまま倒れてしまうのか。そこは彼の精神力次第だ。
「―――おっと」
考え事をしていたら、指で目の前に持っていたはずの薔薇の花が姿を消していた。ふと、後ろを眺めると、道端に一本落ちていた。いつの間にか、落としてしまっていたのだろう。集中して一つを考えるなどと、自分にしては珍しく熱中している。
最近あまり面白くも無い日々を過ごしていた。いや、面倒事が無いのは良い事だ。何もせずとも給料は入って来る。金が手の上に来るのだから、楽をして稼ぐほど最高の仕事は無い。だが、それも度を超えれば、逆に退屈になる。
まさに、最近の氷室の胸の内とはそうなっていた。部屋にこもり、読書に更ける。最初こそは進んでいなかった読書が進むと歓喜していた。自らの主も、四六時中一緒に居る訳ではない。屋敷に居る間は大方家族か、もしくはSPが着いている。自分が居るのは、食事時や、クライアントに頼まれた時だけだ。―――結果として、進んでいなかった本は全て読破し、新しい本を仕入れたのだが……時間はあるのだが本を開いて見ようと思わない。
これと言った趣味は金を四散させる事以外は存在していない。フェリーなどで海をドライブする事にも、既に飽きていた。
顎をさすりながら、新たな趣味を探してもなかなか見つかるものではなし、見つかったとしても長続きはしない。一時期、株に投資した事もあったが、金銭をやり取りしても何の楽しい事は無かった。一方的に金銭を入手出来る訳でも無く、負ければ失う。リスクと利益が割に合っていなかった。
唯一の楽しみは、その楽しみを探す事自身へと変わって行った。毎日、主を学院に連れて行く途中、学院に居る間。終始、何かを探すような目つきで辺りを見渡しているのだが、何も面白い事は無かった。……偶々、朝早く目が覚め、学院に行っても、面白いものは無いだろうと、思っていた。
あの日出会った彼は、何も持っていなかった。生きる為の術、生きる為の金―――全てを失っていたと云うのに、何を思っているのか、目はまだ生きる事へ真剣であった。
面白い人間と出会えた。人は何も持っていなくとも希望を持って、楽しみを持って生き抜く事が出来るのか。退屈を持てはやしている自分と違うところは何なのか。持っている自らに対して、持っていない彼―――どうしてこうも違うのか。
考え続ける事数週間……ようやくこの時がやって来た。彼に存在している何かを、まずはこの戦いの中で知るとする。
人の本質を見極めるには様々な方法が存在している。言葉による会話―――そして本気になった時の言葉―――以上の二つだ。今回、彼と行う対話とは、後者に値する代物だろう。戦いの中で、彼の本質を見極める方法だ。
止めていた足を動かして先に進む。薔薇はもう良いだろう。そのままにしておいて、風に晒されて、いずれ崩れて飛んで行く。氷室自身の心の内と同じで、どこかに行っては、ここに戻って来る。行っては、帰って来る。その繰り返しだ。
―――それでも、さすがに白皇学院の臨時理事長に比べたら、まだまともな方か、と苦笑しつつ、帰宅の途に着いた。
―――白皇学院は言わずと知れた、有名な資産家が通う名門である。金を積み上げるだけでは通う事の敵わない場所である。
当然勤めている理事長も天才、秀才。様々な分野において高い成績を誇り、頂点に君臨し、経営経済関連、学院方針―――多くの事柄をこなす。世界的に有名な人間との会議なども、控えている故に席を外す事も多い。
……名前は…………多くの人間は、副理事長―――現臨時理事長―――しか知らないであろう。何せここ二年以上彼女は学院には姿を見せていない。一年の内に数日は訪れるらしいが、それもほんの数分、数時間の話だ。長くは滞在しない。故に、名前は現在の三年生か、学院関係者の人間しか知らない。
しかし多くの人間はこう言う。
彼女は神に選ばれ、もっとも神々しい名前を持つ人間だと―――
夜。暗くなった白皇学院の理事長室は、本来の持ち主を迎え入れた。
響く乾いた音―――靴底と、床がぶつかる音。それに反応した多くの電子機器が、部屋に電灯を点ける。明るくなった部屋の奥に設置されている理事長の席に座る。
「……汚い事」
昨日まで留守を任せていた副理事長の不潔感漂う部屋の惨状にため息を吐くと、取りあえずテーブルの上で作業出来るスペースを作り出す為に、腕を動かす。そして先ほど受け取った資料に目を通す。
全く面倒な事をしてくれた。生徒会長を変更させるような行事を作り出し、その為に経費を一億円使うなどと。ちなみに、設備費は含まれていない、まだ値段は跳ねあがると予想される。―――彼女にとっては大した金ではないが。学院のモラルを低下させるような行事はしないようにと、あれほど釘を刺したのだが無駄だったようだ。
まだ本調子ではない自らでは理事長の席に戻るのは難しい。しばらくは彼女にまかせなければならないのだが、この事態だけは見届ける必要はある。行事に関しては、居なかった自分が悪かったとして目をつむるとしよう。
―――彼がどれほど強くなったか…………
手で手繰り寄せる写真に写る彼の姿を見て、理事長たる彼女は、目を細める。
to be continued......next week
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