その運命を再びもとの路線に戻す。
誰かの為に戦う人間は自分の為に戦うことが出来ない。
だと云うのであれば、誰かの為に戦う人間を守る為に他人が戦い、互いに支えあう。
これはハヤテが歩んだもう一つの『IF』の物語。
カーテンとカーテンの間から漏れるその光で、ハヤテは目覚めた。休憩のつもりでベッドに横になったつもりであったが、そのまま眠ってしまったらしい。我事ながら情け無い、とハヤテは目を擦りながら体を起こす。時刻は六時半。前までの生活では有り得ない時間帯の起床である。前まではバイトなどで朝四時か、三時には起きて居なくてはならなかったからである。
カーテンを開けると、外は少し風が出ており、雪が少量舞っていた。今日は一二月の二六日である。
パジャマからアンダーシャツの服に着替える。そして上着を羽織り、庭へ出た。置かれている石の道を辿り、家の方に入り込む。横にあった物掛けに上着を掛け、暖房の利いたリビングに入る。
リビングでは今日の当番なのであろう、ヒナギクの義母が料理を作っていた。テーブルの上には野菜が置いてある。そしてふと視線を奥にやるとそこにはトースターにパンがセットされており、香ばしい香りを放っている。もう少し先へと歩くと、ヒナギクの義母が作っているのであろう、ベーコンの香ばしい香りが漂う。
其処まで来て人の気配に気が付いたのか、ヒナギクの義母が振り向き、笑顔を見せた。
「おはよう、ハヤテ君」
「おはよう御座います」
頭を下げてハヤテは挨拶を返した。
「もう少しで朝ごはん出来るから、テーブルに着いて待っててね」
そう言うヒナギクの義母。ハヤテはアンダーシャツの腕をまくり、
「僕も手伝います」
と志願するものの、
「いいのよ。コレくらい私がやらないとヒナちゃんに母親として示しがつかないから!」
と、簡単にあしらわれてしまい、仕方なくハヤテはテーブルに着き料理を待つ事にした。只そのまましているのも退屈であり、気付けば了承も取らずにハヤテはテーブルに置いてあるリモコンを操作しテレビを点けていた。
テレビは朝らしく、明るい口調でアナウンサーが特集をし、そして時には低い口調で暗い話題をする。……しかし、中には昨日聞いた三千院家の令嬢誘拐事件の事など一言も言っていなかった。
そこで、目の前にトースト二枚と目玉焼き、ベーコンとウインナー、牛乳と林檎が出てきた。ハヤテは礼を述べ、その豪華すぎる朝食に手を伸ばす。これも、随分前の生活では考えられない朝食のメニューである。トーストの香ばしい香りと触感、噛むといい音を立てるウインナーも、ハヤテにとっては本当に懐かしい味であった。――何時だったか、高校の友人から弁当を受け取ったことがある事を思い出す。あの時の弁当の味は思い出せない。
そこでふと思った。学校での自らの居場所はどうなっているのであろうか。幾ら家を出たとは言え、支援金と自らの少ないバイトの給料で払っていた授業料――今月の初めに授業料は払った、既に手元には戻ってこないであろう。バイト先の給料も、実際は昨日が給料日だったが、色々とありすぎて受け取るのを忘れていた。
手元には、何も無い。金も既に両親が使ってしまったのであろう。あの家を出たのは結局はそれが発端だ。
だがそれでも、学校だけでも、もう一度通うことが出来るなら……
バイトも始めた。支援金はまだ自分の成績なら大丈夫である。ならば恐らく大丈夫であろう。あのバイト先の給料も悪いわけではない。それどころか、下手をすればその辺のバイト先よりも高給料である。
朝食を食べ終えたハヤテは、歯を磨き顔を洗い、外出する事にした。
コートを翻し、玄関で靴を履くハヤテに声が掛けられた。
「どこか行くの?」
振り向くと、そこにはヒナギクが立っていた。既に私服に着替えており、何食わぬ顔だ。
と、そこで聞かなくてはならない事に気付く。――そう、三千院家についてだ。
「ええ、ちょっと。……それよりヒナギクさん」
「ん?」
「三千院家って知ってます?」
その言葉に、ヒナギクは少し肩を跳ねさせた。最初は何故知っているのかと云う念がヒナギクにはこみ上げてきたが、それ以上に、今の状態を如何にして切り抜けるかと云う事が最優先となった。えー、と考える素振りをしながら、一つの解決法を思いつく。
「え、ええ知っているわよ。あ、ごめんね、ちょっと片付けしてくるから!」
――即ち逃亡。それこそが頭脳明晰なヒナギクが思いついた解決法であった。
目の前で居なくなったヒナギクに対して妙な感覚を覚えたが、ハヤテは取り敢えずその事は帰って来てからにしようと思い、玄関の扉を開き、外へと出た。
ハヤテが出掛けた事を二階で確認し、ヒナギクは一つ小さな溜息を吐いた。
“まさかハヤテ君がナギの事知っているなんて……誰に聞いたのかしら。それとも知り合い?”
どちらにしろ、これ以上詮索される訳にも行かない。ハヤテが何時帰ってくるかは不明であるが、今日はバイトも無い。そこまで長い間外出していることも無いであろう。ヒナギクは自らも外出する事にした。
コートを着、携帯電話を拾い上げた所で、ふとハヤテは携帯電話を持っているのかどうかが気になった。……居候するのであれば、ハヤテにも連絡手段は必要である。
義母に出かけることを伝え、ヒナギクは家を出た。
――外は寒い。矢張り一二月である。雪も降っており、横に置いてある傘を持って、ヒナギクは白い街に出た。
一二月二四日や二五日とは違い、カップルの姿は余り見られない。終わってしまったモノあれば、結ばれたモノもあるであろう。今日はいわばその様な節目の出来事が終わった後のインターバルと言っても過言では無いのであろう。
一つの店の目の前で、ヒナギクは足をふと止めた。……考えてみれば、ハヤテの件があり、クリスマスパーティと云うものを今年はしなかった。義父も帰っては来なかった為に、別段しなくても良かったが……今日当たり、一日、二日遅れのクリスマスパーティをしてもいいかもしれない。勿論、ハヤテも、次いで雪路も一緒に。
足を止めた店の中に入る。そこはクリスマスも終わり、クリスマスに丁度良い料理達が半額セールと銘打っての在庫処分として展示されていた。生憎財布は持って来ていない。するのであれば、一旦家に帰り、義母にするべき事を言ってから買う必要がある。
しかし、考えてみれば、今ヒナギクの知り合い、友人である三千院ナギはその様な事一つ出来ずに、今どこの人間かも解らない人物に捕まっているのである。それを考えると、今他人事と思ってクリスマスを祝うと云う事は出来ない。
……友人と仮面を被っていても、裏側の本音では、楽しい事をやっていたい。結局、人とはその様な悲しい生き物である。
そのまま暗い表情のままその店を出た。傘を差し、歩き始める。今ナギは一体何をやっているのか……暴力などを振るわれていないだろうか、食事は与えてもらっているだろうか……先程まで幸せな思考しか出来なかった脳が、一度気にとめるとそれしか思考できない。
帰ろう、と云う思考に達したのは、街を出て既に閑静な住宅街に差し掛かった辺りであった。
■■■
その高校は比較的町中に存在している。見渡せば閑静な住宅街に建っている物だと思えるが、いざ歩を進めてみると直ぐに街に行く事が出来る。そんな何とも微妙な所に建っているのである。
校舎は静かであった。当たり前だ、既に冬休みに入っている。教師は少し居るのか駐車場には車が止まっている。そんな事を横目に、学校を眺める。
……此処に通っていたのである。つい数日まで、冬休みは如何しようかと、休みだから一日中バイトに行けると考えていた。だが、まさかこんな事になるとは思っていなかった。両親がまさかその後直ぐに嫌になり、家でして今や同い年の少女の家に居候になっているとは考えても見なかった。――無論、常識的に考えてもその様な上手い展開は無いであろう。三流芝居にも匹敵しない。
暫らく立ち尽くしていたらしい。気がつけば傘の上に雪が積もっており、重さは増していた。少し揺らして、その雪を落とし、ハヤテはその場を後にしようとする。来るとしたら、恐らく来期だ。
「……綾崎君……?」
――懐かしい声を聞いた。振り向くと、制服を着て、右手で傘を差しながら左手で菓子パンを食べている少女がそこで立っていた。
「……ぁ」
「綾崎君……だよね? どうしたの、こんな所で?」
クラスメイトの少女だ……
「西沢さん」
西沢歩。そう、西沢歩である。
「……え、だって、学校辞めたんじゃ……」
その言葉にハヤテは目を見開いた。
――自分が、学校を辞めた――? いやそんな筈は無い。確かに学校がある二四日には学校に行かなかった。しかしそれだけである。担任にも、校長にも学校を辞めるなど一言も言っていない。それに来学期分の授業料は既に今月の初めに収めているのである。
「いえ、僕は……」
ハヤテが反論しようとすると、歩は最後まで聞かずに言葉を紡ぐ。
「だってイヴの日の放課後のHRで、先生言ってたよ、綾崎君が学校を辞めたって……」
――頭が白く塗り潰された。何故、と云う念よりも、そうか、と云う諦めの念が強かった。
「……両親が来たんですね……」
教務室。歩と共にハヤテは担任の教師の所に来ていた。
「ああ。……そうか、綾崎、お前……」
「はい。どうやら……してやられたようです」
そう、三学期が始まる前に、三学期の授業料を両親が取りに来たと云う。様々な準備などがあり、全額とは言えないが、両親に金を返したと云う教師の言葉に、ハヤテは溜息一つ吐かず、納得した様子で教務室を出、そのままで学校も出ようとした。
「……綾崎君……」
隣では歩が着いて来ている。
「本当に良いのかな? 教育委員会とかに言わなくても……」
「そんな事したら、僕の両親の我が儘で先生達が責任を取らされてしまいますし……元はと言えば、家出した僕が悪かったんです。あの時、家出したときにはもうこの学校には来ないって言う念がありましたし……。
莫迦ですよね、今になって恋しくなっているんですから……」
下駄箱の番号を眺める。これが今までの、綾崎ハヤテと云う人物の学校の中での番号であった。それも、もう意味は無い。校歌も、体育祭で歌った応援歌も、既に覚えている意味は無い。
「莫迦じゃ……無いんじゃないかな……」
「……有り難う御座います」
靴を履き終え、ハヤテは立ち上がる。傘を持って、外に出ようとする。もう帰ろう。
「あやさ――ううん、ハヤテ君!」
突然名前で呼ばれて、ハヤテは後ろを振り向いた。
「……あの……その……」
辺りを見渡し挙動不審な歩を見て、ハヤテは首を傾げる。
「その……私……――」
少し困ったような顔。紅潮した頬。そして行き場所を迷う視線。――その全ての言動は、一つの答えを導き出す。
「――ハヤテ君が……好きです」
……。
ハヤテは思考停止した。目の前の少女は今、ハヤテに愛の告白をしたのである。
「だから……私と一緒に居て欲しいな……」
頭に過ぎるのは数十年前の光景。――また、泣かせるのか。目の前の少女を自らの都合で泣かせるのか。我が儘で泣かせるのか。
裾を掴む歩は、今少し震えている。人生を変えるかも知れない。ハヤテが今此処で答えを間違えれば、YesでもNoでも、ハヤテはこの少女の人生を変えるのである。トリガーを引くのか、それとも……
「ハヤテ君……」
答えは解らない。だが今は駄目だ。ハヤテには今その様な余裕も無ければ資格も無い。
「……今は……まだ解らない。僕はそう云う人間だから」
そう言うと歩が顔を上げた。
「……じゃあ……」
歩が何やら手提げバッグから紙を取り出し、自らの携帯電話を眺めながら何かをしている。
「これ、私の携帯電話の電話番号。今駄目なら、気が向いた時に電話して……待ってるから」
そう言って学校の中に入っていった。……そうか、補習か、とハヤテは呟いた。
思わぬ展開になってしまったが、ハヤテは兎に角ヒナギクの家に戻る事にした。
家に戻ると、血相を変えて電話を握っているヒナギクの義母が立っていた。……何かあったのだろうか……ハヤテはコートを掛けて、義母の元に向かう。
電話を置く義母。ハヤテの存在に気がついて……
「ハヤテ君! ヒナちゃんが!」
……その言葉は、尋常では無い様子。
ハヤテは、その言葉に目を見開いた。
to be continued......
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