これはハヤテが歩むかも知れなかった、
運命の夜の輪廻を違えた、
別の―――『IF』の物語。
その執事編。
第40話
「ご苦労なこった」
決意の朝を迎えたハヤテとヒナギクの後ろから欠伸をしながらいつもの服装の上から皮のジャケットをはおった雪路が姿を現した。どうやら風邪は引かずに済んだ様子だ。
夜中の二時頃に、トイレで起きたヒナギクがふと外を眺めなければ、間違いなく拙い事になっていたであろう。その点は、雪路はヒナギクに感謝しても全く問題無いのであるが、生憎、それすらも忘れている彼女の脳内リセット能力は、通常の人間よりも優れていた。
そんな彼女の登場に素直に、おはようございます、と笑顔で挨拶するハヤテとは違い、ヒナギクは―――
「……お姉ちゃん朝ごはんは……?」
「食う暇あるかっつーの」
ふと腕時計を眺めると……確かに、生徒が登校するには早過ぎる時間であるが、教師が出勤するには遅過ぎる時間ではある。
「朝から今日の―――くぁ―――執事うんちゃらの―――ぐぅ―――ミーティングがあるらしいけど、正直面倒臭いのよねぇ」
欠伸をしながらの言葉は、彼女が如何に今眠いのか、会話よりも睡眠に費やしていたのか、と云う事実を物語っていた。が、言っている言葉は教師とは思えない言葉である。彼女は一体何故教師などになったのか……笑顔の裏で、内心ハヤテはため息を吐いていた。
ハヤテの心の中のため息を知る余地も無く、ヒナギクの方は雪路に対して朝食の大切さを解き、当の本人はそれを濁している。よくよく考えて見れば、初めてこの家に来て、初めてあの部屋を貸して貰った時の中の惨状で気づくべきであった、このような人間であると。気づくのが遅い、と云うよりは気づかないようにしていたと言うべきか。聡明なヒナギクの姉なのだから、本当は素晴らしい人物なのだろうと、思っていた自分が莫迦か阿呆なのか―――いや、まだ解らない、とどこかで信じているらしいと胸に手を当てる。
そのような話をしつつの登校の路は賑やかであるが、話の内容を聴いているとどうにも悲しくなって来るものがある。苦労が絶えないだろうな、彼女は。
「それはハヤテくんが言う言葉じゃないでしょ」
ふと、そう返された。
一瞬どうしてだろうか、と首を捻ったが、口を開けて小さく、あ、と思いつく。言われてみれば、自らも相当災難な境遇の持ち主だったと、認識するのだ。―――ここ最近の、まるで夢のような〝当たり前の日々〟に埋もれて、自分の境遇を忘れていた。
―――まるで、最初から桂家の元に生を受けたかのように―――
「良いんじゃない? それで」
隣を歩いて来た雪路が柄でも無く真面目な口調で、背伸びをしつつ口を開いた。
「嫌な事はどうあっても忘れられないんだから。だったらせめて、楽しい事でそれを埋めな。―――人はそうやって、生きて行くんだから」
ああ、なるほど、この女性は―――だからこそ、人を導けるのかと……。一瞬でも思ったが、この言葉を聞く前の彼女の態度を考えると、これで悪い分と良い分、3:1だろうか。未だ悪い部分が勝ち越している。
それでも今の言葉には救われたかも知れない。こうして、自分と桂家との思い出が積みあがって行き過去の物は埋もれて行く。辛い過去は忘れられなくとも、確かにそれを埋めてしまう事は出来る。
……だがそれでも、一つだけ忘れては行けないモノがある……
―――ぶつかる剣の鉄の臭い。錆びた建造物の臭い。耳に響く剣戟の音と、高く澄んだ声。折れた剣の断末魔。
いつか届くその場所へ、彼女の姿。そう、背中を頼りに、あの場所に再びたどり着く―――
……目を細めて、先を見据える。今、忘れてはならないと再び認識する。彼女とのひと時は確かに、今と同じく自らの災難を埋めてくれるほどの出来事であった。だがあえなくそれは崩れてしまった。
たった一つ、たった一つの行動の間違えで、自らは『楽園』と『彼女』の手を払ったのだ。
だからこれは『罪』―――それを背負って、生き続ける。
「おーい」
掛かる言葉に顔を上げると、いつの間にか先に進む二人が居た。雪路の言葉に我に返ったようである。
「はい! 今行きます!」
今は良い。目の前の事を頼りに、進め。
◇
最後の日程。執事VS執事の優勝者には、この学院のほぼ全権力に近い、生徒会長の椅子を手に入れる事が出来る。加えて、学院生活での一年間の単位の保障。つまり今日、優勝する人間には最高の権利と、無償の進学を手に入れる。―――元々資産家だ、学業など積まなくとも、自らの継ぐ家については解っている人間も少なくない。あくまで、学校に通うのは社会勉強の一環だ。
それについて野望を燃やす者、鉄槌を加える者、それぞれであるが、人の欲望をむき出しにする参加者と、プライドでそれを押さえつける鉄槌者との覚悟の違いは明確であった。結果として、鉄槌者は現在、桂ヒナギク、綾崎ハヤテペアだけとなっている。
これが結果か……しかし、これこそ現在の臨時理事長である彼女の目的であろう。あまりにも退屈な日常を変える為に刺激を求める―――まるで生徒をチェスの駒のように……
負けられない戦いである。が、周りに居る執事もかなりの実力者たちばかりだ。何せ、ここまで来て一度も負けてなく、多くの執事を退けて来たのだから。当然自らたちもその一つなのだが、あまりにも経験の違いがある。
戦いは経験であり、執事も経験。
〝……執事って戦うものなのか……?〟
今さらながらの認識である。これまでハヤテは執事が戦う者だとは一つも疑わずに信じていた。普通、執事とは主に仕えて身の回りの世話などをこなすのではないのだろうか、と思ってしまう。こうして戦うのはSPの役目ではないだろうか。
つまりハヤテは、執事VS執事よりもSP VS SP(野望編)にすべきではないかと思っているのである。ちなみに、(野望編)じゃなくとも(革命編)でも問題無い。
首を振るって雑念を払うと、取りあえず、控室に入る。
すると、一斉に入って来たハヤテに対しての視線が、注がれる。思わず怯み、後ろに居たヒナギクに肘で背中を押されて先に入る。
そこには当然、あの冴木氷室の姿もあり、野々原楓の姿もある。その主も居る事を、忘れては行けない。
「にゃははー、ヒナちゃーん、ハヤ太くーん」
いい加減にハヤテと呼んでくれないだろうか……ハヤテは苦笑しつつ、そこに居る唯一の心のオアシスを見つける。恐らくこの場で休まるのは彼女辺りだろう。他は無理そうだ。殺気で満ちている。
「まぁ、虎鉄さんが勝ち進んでいると言う事は当然瀬川さんも居るとは思っていましたけど……」
「良く勝ちあがれたわねぇ……私たちは二人一組でようやくだったのに……」
「まぁーねー」
これが本物と偽物の違いか……ハヤテはそう心で呟いた。
その中、虎鉄がハヤテの前に立つ。
「一流は、主を戦闘には参加させないからな」
「……はあ……」
確かに、と思い後ろを眺めると、楓と言い、氷室と言い、確かに自らの主を前線に出す事はまずない。楓に関しては戦いの経験を積ませるべく、前に出してはいるものの、すぐに後ろに下がらせる。
そんなハヤテの心中を察したのか、すぐにヒナギクが割って入る。
「お生憎さま、私は後ろでじっとしてるの、主義じゃないの」
ほぅ、と鼻で笑う虎鉄の向こう側で、東宮康太郎はそれこそ桂ヒナギクだと、内心で拳を握りしめていた。
「だが―――勝てるのかね? キミが? 一流に」
後ろで本を読んでいた氷室が、期待を込めて、苦笑しつつ、ハヤテにそう投げ掛けた。
「……僕は三流かもしれませんが―――」
一同が見つめる中で―――
「三流が一流に敵わない、何て道理はないと思いますよ」
それが喩え強がりだったとしても、決意は揺るがない。
to be continued......next week
[5回]
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