それは既に他人事。だが、運命が一回だけ元に戻ると云うのであれば、それは今。
少年は出会う。運命の公園でその人間と出会う。
そして……行動するのか、しないのかは、少年次第である。
これはハヤテが歩んだもう一つの『IF』の物語。
歩く足は重い。……この道で一応合っているとハヤテは信じたかった。
バイト先の店を出てから既に数刻。行くときはヒナギクと共に歩いていた為に、道を間違えそうになっても問題は無かった。ヒナギクが場所を教えてくれたからである。……だが現在の状況は違う。今はハヤテの隣にはヒナギクはいない。
無言で辺りを見渡す。苦笑しながら周りを見る光景は、少々滑稽に見えるが、人はいざとなれば様々な事を平気でやってのけるものである。
取り敢えず、ハヤテは知っている道へ出る事にする。……この辺りは解らない、だが一応ハヤテも数日前までは宅配のバイトをしていたのである。様々な場所は知っている。――今までこの辺りに来なかったのが不思議なくらいである。運命の巡り会わせか。
大通りに出た。――此処ならハヤテも場所が解る。此処からヒナギクの家に戻らなくてはならない。記憶が正しければ、家に戻った後に家を出たので、家の近くの道を真直ぐ歩いていけばあの時の公園に出るはずである。
取り敢えず、近道である。……自分の家に戻れば恐らくあの親が居る。近くまで行って、直ぐに戻ろうとハヤテは考えていた。
近道の公園は直ぐ其処に存在している。池や憩いの広場とか云う様々なモノが存在している東京にしては比較的広い分野に入る公園である。
「……この公園は良く使ったなぁ……」
一昔の事を思い出し、ハヤテは苦笑する。――何時だったか、借金取りに追われて家に帰れないときはこの公園に身を隠したものである。……池には魚が居るが果たして。
兎に角、今は思い出に浸る前に、家に戻る事が先決である。そして其処からヒナギクの家を割り出すのである。既に居候の仲とは言え、あの家を自らの家とは思えないハヤテであった。自らは綾崎ハヤテなのである、決して桂家の人間では無いのである。
公園の真中辺りにさし当たると、そこには自動販売機が存在する。――と、其処に一人の女性らしき人物が立っている。“らしき”と云うのは決して目に見えている人物が女性でも男性でもないそう言った感覚の人間と云う訳ではなく、やけに綺麗であるが、少し少女も混ざった様な顔立ちもしているからである。少女と女性、どっちのニュアンスで表現したら良いのかが解らなかったのである。
……取り敢えず、自動販売機を眺めている。ボタンを押したり、下の商品を取る場所を眺めたり、コイン返却口を眺めたりとなにやら挙動不審である。
「……あの」
ハヤテは耐え切れずに声を掛けた。
すると目の前で自動販売機を物色する女性――取り敢えず女性と仮定する――は振り向いた。……その先程も見た美人さに、ハヤテは心を動かされる。――昨日まで同じく綺麗と考えていたヒナギクとは違った綺麗さ。美人さ。ヒナギクが優美で凛とした美しさならば、この女性は軟らかく、包み込むような美しさである。
「どうしました?」
問うと、女性は少し困ったような笑顔を浮かべて――
「ええと……この自動販売機……でしたっけ? これは一体どうやって動かすんでしょうか?」
その言葉を聞いた刹那に、ハヤテははい? と反射的に妙な言葉を口に出していた。今の時代、自動販売機を知らない人間が居るとは珍しい。
「……」
暫らく無言の見詰め合いが続いていたが、ハヤテはポケットの中から財布を取り出し、なけなしの百円玉を取り出すと、コイン投入口に投入。適当にコーヒーを選択すると、重い音を立ててコーヒーが落ちてきた。それを取り出し、女性の目の前に差し出す。
「あら、出ましたの? ……私の時は出なかったのに……故障でしょうか?」
「いや、多分何かを間違えたのかと……」
如何にすれば自動販売機の操作方法を間違えたのかが不明であった。
「お金は入れたんですけど……」
其処には、一万円札が入った財布があった。小銭など何一つない。
「一万円札は自動販売機じゃつかえませんよ」
「え!?」
とことん常識離れした女性である。コーヒーを貰い、そして女性は少しコーヒーの缶を見渡す。
「……上の蓋を開けるんです」
「え!? あ、そうなんですか……。へぇ、缶詰は開けた事はあるんですけど……」
「そうですか。……何処かのお嬢様みたいですね。いえ、お姫様でしょうかね」
「ええまぁ……世間知らずのお金持ち、って所はあってますけど……お姫様じゃありませんね」
「へー……って、ええ! 本当にお金持ちのお嬢様だったんですか!?」
ハヤテはこんな身近に、しかも最近、これほど金持ちの令嬢に会うとは思っては居なかったのである。世間は意外と金持ちで溢れているのか、とハヤテは頷きながら、その女性を眺める。……確かに着ている衣類はハヤテの知っている範囲、全てが高級品である。
早くヒナギクの家まで行かなくてはならない。そうであったが、目の前の女性が気になって仕方がなかったのである。
「そんなお嬢様がどうして一人でこんな所に居るんですか? 危ないですよ、女の子なんですから、ここら辺は不審者も多いですし……」
「あら、そういう貴方も結構不審者さんなのでは無いんですか?」
確かに。見知らぬ人間が話しかけてくるなど、相手にとっては確かに不審者であろう。
「そうですけど……まぁ……ええ、そうですね」
ハヤテがそう答えると女性は微笑した。
「私はですね、人を探しているだけですよ。それに、私なら大丈夫です、色々と護身術を身に着けていますので。――知ってます? 形意拳とか、八極拳とかの中国拳法は」
……それが出来るのであればかなり心強いのであるが、それでもハヤテにはか弱い女の子としか考えられなかった。
「まぁ貴女が強い事は解りました。でも女の子が一人でこんな時間に」
バイト帰りのハヤテである。今は五時を……いや、今六時になった。外は暗くなってきており、流石は冬、とハヤテは感心する。
「……まぁ、そうなんですけど……」
女性は顔を再び別の場所に向けた。それに釣られてハヤテもその方向を向く。そこには暗闇しかなく、他に何も無かった。
「……実はですね、此処で令嬢の誘拐事件があったんですよ」
「え?」
「三千院家って知ってます?」
その名前に聞き覚えは無かった。それも金持ちの家なのであろうか、ハヤテは首を捻る。それが知らないの合図になった。
「其処の一人娘が先日誘拐されたんです。一二月二四日に――此処で」
その言葉にハヤテは凍りついた。二四日と言えば、自らがヒナギクの家に居候になって次の日だ。つまり……昨日。
今まで様々な経験を積んできたハヤテである。幼き日から大人の渦巻く欲望と金の間に挟まれてきたハヤテは、尋常では無い、そして若くしてその様な場を読む能力を身に付けていた。そしてそれは勘のよさとして今発揮されている。第六感と云うべきものが……
「……もしかして、此処でさらわれた人と貴女は……」
ハヤテの記憶の其処から情報を取り出す。今日の朝、ニュースを見た時はその様な令嬢誘拐の事件は報道されていなかったと云う事は、目の前の女性はそれ程詳しい人間だと云うこと。
「すみません、もう私行きますね」
流石にこれ以上は拙いと思ったのか、女性は行ってしまった。向こう側では、高級車、ハヤテの目が正しければ、ロールス・ロイス・ファントムと呼ばれるイギリスの高級車が扉を開いて待っていた。確かに、金は常人以上に持っているようである。
ハヤテはその姿を眺め続け、最後に女性が振り向いて一回こちらに頭を下げた。それをハヤテは、何一つ動かさずに、只ひたすらに眺め続けていた。
■■■
先程の事は頭の中に引っ掛かったままであったが、ハヤテは自分の家を視界に捉えた。……灯りは点いていない。居ないのか、それとも捕まったのか……しかし、もう我慢の限界である。あの両親と居れば何時か絶対にこうなる事は解っていた。ハヤテの取った行動に後悔は無い。
静まり返った住宅街は何か嫌な事でも起きそうで怖い。ハヤテは早めに進路を前の道に捉えた――刹那、
「そこの少年」
……誰かに呼び止められた。……しゃがれた声だ。恐らく年配の人間であろう。振り向くと、予想通り、其処には年の行った男と、そして若い女性が居た。コートに身を包んでおり、その下に来ているスーツは何か嫌なものを連想させる。
「……なんでしょうか……?」
苦笑しながらハヤテは話だけは聞こうと思って答えた。
そうすると、目の前の男が何かを取り出した。
それは、ドラマでよく見る警察の手帳。同じく、男の後ろに居た女性も手帳を取り出してハヤテの目の前に見せる。
「……警察の人が何のようですか?」
心当たりが二つ程あるが……
「いやな、オレ達は二つの事件で調べているんだけどな。……まぁ両方聞いておいてもいいか。
少年、この辺りでな、とある金持ちの令嬢がさらわれてなぁー、オレ達はそれを調査してるんだけど、なんかしらねぇかねー。不審者を見たことがあるとか、さらわれた所を見たことがあるとか……」
「調査にご協力ください」
……矢張り警察も動いているのか。金持ちの令嬢となれば、この辺りの土地を管理していても不思議ではない。その様な偉い人物の娘か孫がさらわれたのであれば警察も黙っていないだろう。
ハヤテは先程の女性の事を思い出す。……ニュースにもなっていない事は知らない。しかも、ハヤテはさらわれた日はヒナギクと共に今日から通い始めたバイト場所である喫茶店に行っていたのである。何時さらわれたかも解らないのでは答えようがない。
「ソイツは失礼。時刻は……えーとな……昨日の七時ぐらいだな、ああ」
その時刻ならハヤテはヒナギクと、その義母と共に夕食をご馳走になっていた頃合である。
その事を話すと刑事はそうか、と言って白い息を吐いた。
「じゃあ次、二つ目の事件だ。今度は貧乏人の話だ。
このアパートでな、二人の夫婦が住んでいてな様々な金融会社から多額の借金をして金を借りたままトンズラしたって云う話しなんだけどな――少年、家はこの辺なのか?」
「――いえ、違います」
それは絶対に自らの両親であろう。此の世幾ら広といえども、この辺りでその様な事をやらかす人間は自分の両親以外居ないであろう。
「いい歳してそれか。しかも驚いた事に息子がいてなぁーその息子も行方不明なんだよ。写真は……おい写真はどうした?」
「……刑事、デスクに置きっぱなしじゃ……。あ、私も持ってきていませんし、覚えても居ません。此処の所夜勤続きだったので細かいことは全て忘れました」
「おいおい……若い人間が――」
ハヤテはこの暗い夜に今日ほど感謝したことは無い。
「兎に角、そんな噂でもいいからな、聞いたら警察にきてくれ。まぁ、これは聞き込みを行なった全員に言っているんだけどな。じゃあな、少年。最近は物騒だから早めに帰れよ」
「夜遊びは程ほどに。それでは」
……そう言って漸く刑事はハヤテの横を抜けて夜の街に解けて行った。
■■■
やけに面倒臭い事も起こったが、何事も無く無事、ヒナギクの家に辿り着くことができた。……家の目の前に居るヒナギクの表情は兎も角として。
「……ハヤテ君?」
取り敢えず怒っている事は良く解った。
「はい」
「今何時でしょうか?」
「七時半です」
「貴方は今まで何をやっていたでしょうか?」
「バイトです」
「バイトの終了時間は何時でしょうか?」
「五時半です」
「二時間を何処で何していたのでしょうか?」
「……まぁ、色々と」
ハヤテは拙い、と思っていた。目の前のヒナギクは何時に無く怖い。三日間しか共に過ごした事は無いが、ヒナギクはそれでもハヤテが過ごした三日間の中で一番怖かった。
教訓、ヒナギクを怒らせてはならない。
聞きたい事は色々あった。ヒナギクが途中で何処に行っていたのか。そして、同じお金持ちなら、三千院家と云う家の事を知っているか……
……いやそれ色々とある訳ではないな、とハヤテは自らが比喩した表現を否定する。
結局夕食の場でも会話はヒナギクの義母の話で盛り上がり、ヒナギクとは一言も会話を交わさなかった。矢張り遅く帰ったことが問題であろう。一度臍を曲げたら直るのは遅い、ハヤテのヒナギクファイルの一ページに一つ項目が追加された。
部屋に戻り何時もの日課をする。腕立て伏せをし、腹筋をし、体を鍛える。学校にはもう通っていないとは言え、勉強はしておいて問題は無いであろう。
――数分後、勉強の筆が止まった。
解らない問題が出てきたのである。それは考えていなかった。応用は学校でなければ教えてはくれない。この家に先生などは居ない。
「へぇー、アンタまだ居たんだ」
と、突然気配が現れた。
「うわぁっ! ヒナギクさんのお姉さん!」
「雪路よ雪路。桂雪路。ヒナから聞かなかったぁ?」
聞いていたような、聞いていなかったような……
「そ、それで雪路さんは何を……」
「何って、本来は此処はあたしの部屋だから」
「はぁ」
……この性格はヒナギクとは離れている。姉妹で此処まで性格は違うものか。確かに、年は離れているとは言え、ハヤテ自身も兄を持っているが性格は全く違った。と思う。
「何勉強?」
教科書を上げた。
「へぇー、これ、どこの高校の教材?」
「……潮見高校の……」
雪路は暫らく考えていたが、おお、と相槌を打つ。
「こんなもんに躓いてんの? これはこうすんのよ」
その的確なアドバイスに、ハヤテは驚き半分、ノートにそれを書き述べていく。……上手い、この人物は教えるのが本当に上手い。それは本当に教師の様に。
「あたしね、白皇学院の教師してんの」
「え!? そんなんですか!?」
「うん」
――驚いた。この様な人物でも教師になれるのか。ハヤテは心底驚いた。
「でしたら、少し付き合ってくれません? 僕の勉強を見てもらえるといいんですけど……」
「え!? 自給幾ら!?」
……前言撤回である。
「なんてねー。でもあたしこれからヒナの所に行かないとぉー。んじゃねー!」
何時の間にか現れて、風の様に去っていった。思う、あの人物にこそ、自らの名前であるハヤテは似合うのではないのだろうか、と。
■■■
部屋から帰る途中で、此方側に向かってくる自らの妹を見て、雪路は手を上げた。
「お姉ちゃん? ハヤテ君に何か用だったの?」
「いんやぁ、別にー。只勉強を教えただけー」
その言葉にヒナギクはえ? となった。
「ハヤテ君勉強してるの?」
うん。と答える雪路。
「そっか……じゃあ私が教えようかな……」
「いやいや、ヒナ、アンタはやることあるでしょーが」
……雪路の言葉に、ヒナギクはハヤテの部屋に行こうとする足を止める。
「何かあったの?」
「身代金だってさ」
短く、低く呟いた雪路の言葉に、ヒナギクは肩を跳ねる。
「……古典的な手ね。三千院家に一体幾ら求めたんでしょうね」
「……あたしの酒が一生分買えるくらい」
「それは随分ね。一〇〇万ぐらいじゃない」
ぐらい、と言うあたり、流石令嬢である。白皇学院の高い授業料に比べれば安いものである。無論、その交渉に三千院家が応じるかどうかは不明だが。……現在三千院家の執事は不在らしい。
「兎に角、白皇学院を休講処置にしたんだから良いでしょ?」
ヒナギクはそう言う。
「まぁね……ま、後はナギちゃんが戻って来れば良いけど……」
「そうね」
――それはもう始まっている。
少女はさらわれた。少女を助ける人間は今いない。
少年は今、別の道を辿っている。
ならば今、少女を助ける人間は居るのか――
ハヤテは勉強を続ける。
明日こそ、ヒナギクに聞こうと胸に秘めつつ。
to be continued......
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