人は其々の道を歩まねばならない。
自分が選んだもの、自分が望んだもの、何を犠牲にして、何を手に入れるのか……
それを決めるのは自分だ。
それた道を再び戻そうとは思わない。だがこれからの日々で直せるのであれば、戻れるというのなら。
運命は――何処までも残酷に少年を襲うだろう。
これはハヤテが歩んだもう一つの『IF』の物語。
同じ境遇の持つ人間に惹かれると云うドラマはそれこそ、星の数ほど存在する。同じ境遇に共感し、共に悲しみ、この目の前に居る人間もまた、同じ傷を持っているんだな、と思考するに当たって、恋に落ちることも珍しくない。人の心とはその様なものである。
ヒナギクが感じている感情も一種のそれであった。恋愛感情があるのかは解らない。たった一日の恋愛も良くあることである。
――両親に捨てられた。理由と両親の人柄は違うとは言え、ヒナギクとハヤテはかなり似た境遇を持っている。
それを確かめたい、それが本音である。
「此処ですか?」
ハヤテは一つの喫茶店を指差す。
西洋風の煉瓦作りのその喫茶店は、看板にOPENとかかれている。名は『どんぐり』。商店街の中でも、比較的人通りの少ない場所にそれはあった。
「ええ、まぁ店長とは結構前からの知り合いでね。学校の事もあるから余りシフトできないんだけど」
「学校、と云うと?」
聞くとヒナギクは喫茶店の扉を開けた。
「私、白皇学院で生徒会長をしているのよ」
そしてそうハヤテに告げた。
「白皇……白皇って、あの白皇学院ですか!? 超名門といわれる!?」
「そ。それ以外に白皇って名前の学校があったら是非教えてもらいたいわね」
「しかも生徒会長ですか……」
「うん。白皇学院だと、優秀な生徒だったら年齢問わず生徒会長になれるのよ」
そう言って開けた扉から店内に入る。
そうなんですか、と感心するハヤテ。
「マスター? 居る?」
ヒナギクがそう呼びかけると、店の奥から一人の男が姿を現した。
男性独特のラインの顎、そしてその細い目は男性を表現している、が、細身の体格と、絹のような髪はまるで女性のものであった。
「あらヒナちゃん、今日シフト入っていたっけ?」
言葉使いも女性のそれであった。
「いいじゃないですか、偶には」
腰に手を当てながらヒナギクはそう返す。
と、相手の男性はハヤテに気付いたのか、急に顔を微笑させ、
「あら、ヒナちゃんの彼氏?」
とハヤテに言った。
「え……えええええッ!?
ち、違います、僕は……」
慌てふためく。その光景が余りにも愉快だったのか男はくくっ、と声を出しながら笑う。
「もう! マスター!」
「冗談よ、冗談。で、彼を連れてきた理由は何?」
その問いに、そうだった、とヒナギクは呟き、
「彼は綾崎ハヤテ君。ちょっと色々あって今家に帰れないの。
で、資金調達の為に此処でアルバイトさせてあげたいってわけです」
ふぅん、と言いながらハヤテを眺める男。
「じゃあ、まぁ、仮に雇うとして、ハヤテ君がどれ位出来るかを見せてもらいたいんだけど……」
ハヤテの技術は伊達ではなかった。
幼き日より、体を鍛え、そして技術を積み重ねてきたハヤテにとって、大抵の事柄は苦無く出来るのである。特に掃除、料理等の家事全般は昔していたアルバイト、そして勉強した高度技術の数々がハヤテの武器と云っても過言ではない。
ハヤテの手際のよさには、ヒナギクとマスターも驚愕を隠せなかった。
「……文句無しね、明日から店の店長を任せてもいいほどの腕よ」
マスターはそう言って腕を組んだ。ヒナギクはいまだに驚愕の色を隠せず、呆然とハヤテを見ている。
「はいはい、有り難うね、ハヤテ君。OK、ばっちりよ」
手を叩いてマスターはハヤテに制止の言葉を投げ掛けた。と同時にハヤテは手の動きを止めた。
「うん、文句なしよ。もし良かったら明日からもうシフト入ってくれる?」
「え、えーと」
ハヤテは助けを求めるようにヒナギクを見る。
ヒナギクは一つ頷くと、顎でマスターを指した。
「……はい、解りました。
あ、でも……」
ハヤテは少し躊躇った後、
「僕、住所とか電話番号もっていないんですけど……」
そう問題点を言った。
「大丈夫よ。どうせヒナちゃんと会っているんでしょう? 何かあったらヒナちゃんの携帯に電話するから」
マスターは笑顔でそんな事を言った。
その一言にヒナギクは顔を真っ赤にして反論していたが、ハヤテは内心穏やかではなかった。
……自らは、これから如何すべきかを考えているのである。アルバイト先は決まった、月幾らかは知らないが一万円あればハヤテになら一ヶ月は過ごせる。だが問題は其処ではなく、住居スペースである。元々、この町を出てから考えることにしていたことであるが、ここまで来てしまった場合はもうこの町で再び住むことしか方法がなくなったのである。元の家は既に売却済みであろう、今更両親に泣き付くわけにもいかない。
なら如何する? また道端で過ごすのか……
「ちょっと、聞いてる? ハヤテ君」
帰り道、呆けているハヤテにヒナギクがそう言った。
「え、あ、はい」
慌ててハヤテは姿勢を正した。
「如何するの? アルバイト先は決まったけど、住むところが無いんでしょう?」
「ええ」
「なら……お母さんに頼んで住まわせてもらう?」
突然の提案にハヤテは戸惑う。
それは出来ない。一泊だけなら兎も角、既に二泊も止めてもらい、住居スペースまで貸してもらった。食事も出してもらい、これ以上に無いほど親切にされた。だと云うのに、今度は住まわせてもらうなど、出来る筈もない。
「……それは……」
だがそれはハヤテにとってはありがたいことである。住む場所を無くし、そして死に瀕した――それを今此処で生きながらえているのは目の前に居る少女の厚意である。
「――私ね、今の綾崎君と同じ状況下に会ったことがあったの」
突然、ヒナギクは語り始めた。
「両親に借金を背負わされて、大好きだったお父さんとお母さんは居なくなって、残ったのはお姉ちゃんと借金だけ……そんな時が」
ハヤテは何も言わなかった。
「今日、綾崎君を私のバイト先に連れて行ったのはこのことで聞きたかったことがあったから……」
息を吸う。
「――両親が居なくなったりとか、私たちに借金を背負わせたのに……何か相談できない辛い理由があったって……思わない?」
問うた。
聞きたかったこと。それがこの言葉。
理由はあったのかもしれない、だが、無かったのかもしれない。ヒナギクと雪路を捨てた両親は今如何しているかは解らない、それはハヤテの両親にも同じことが言える。
自らが生んだ子供に、自らの業を背負わせる、それは何物にも代えられない苦痛である。それを背負わせて逃げ出した両親……何か理由があったのでは無いか……ヒナギクはそう問うている。
「……僕は……少なくても僕は……そんなもの、無かったと思っています。
あの両親は僕に借金を背負わせるつもりでしたよ。あの両親には何もありません、只、有るのは自分達の幸せだけ、他人なんてモノはどうでも良い、どれだけ迷惑が掛かろうが、それがたとえ自らの血と肉を分かち合った子供でさえも――あの両親は捨てるんですよ」
それがハヤテの答えであった。
決定的に違う。その壁は違う。ヒナギクの両親は最後まで優しかった、借金を背負わされて、失踪するその日まで、何時までも優しかった。しかしハヤテの両親は本当に何処までも欠如していた、一般常識と、人と云う感覚が欠如していた。
だと云うのに……此処まで違うと云うのに、ヒナギクはまだ――
「……恨んでる?」
「それは恨んでますよ。でも、もう良いんです。僕はこうして逃げてきましたし、兄さんもいなくなった……あの両親には、本当に何もなくなったんですよ」
「……」
それは悲しいことである。だが、ハヤテの両親が本当にハヤテの言う通りの人物だとしたら、その悲しみも無いのであろう。今でも何処かで、その両親は人を騙し、今を生きている。
それは変わらない、何時か誰かが彼らを止めない限り、彼らは悪行の限りを尽くす。
「――さ、ヒナギクさん、戻りましょう」
ハヤテのその言葉に、ヒナギクは頷いた。
■■■
夕食はハヤテが作った。最後の日ぐらい、自らが作ろうとハヤテが志願したためである。
食卓にはヒナギク曰く珍しく雪路も同席していた。ハヤテの料理を美味い美味い! と言って頬張り、その後、直ぐに別の部屋に引きこもってしまった。
片付けを終らせたハヤテは、ヒナギクの母親に世話になったこと、礼は何も出来ないと云うことを謝罪し、ベッドで横になった。
「……これでよかったんだ」
住む場所は明日から失くなる。だが、アルバイト先は確保した、これからがハヤテにとって耐えるべき日々の始まりなのである。
■■■
朝の目覚めは良かった。
ある意味の踏ん切りがついたのかもしれない、ハヤテは新たな生活のスタートを切るには素晴らしすぎる晴天の朝を迎えた。
「漸く起きたわね、『ハヤテ』君」
と、其処にはヒナギクが立っていた。
「あ、おはよう御座います。如何したんですか?」
ヒナギクは腕を組み、ハヤテに詰め寄った。
「いい? 私ねあれから考えたの」
「――はあ」
「私、困った人をほうっておけない人なの、自分で言うのもなんだけど。それと、嘘をつくのも苦手なの」
笑顔で言う。その笑顔が、ハヤテは少し怖かった。
「だからね、ハヤテ君、アナタを此処に居候させることにしたわ!」
数秒のブランクを空け、ハヤテの絶叫が響いた。
そう、新しい日々が始まるのは突然である。
to be continued
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