これは、ハヤテが歩んだもう一つの『IF』の物語。
気になったら確かめる主義、氷室は自らの事をその様な人物の一人だと考えていた。
無論、金銭の方が重要であるが、金銭が絡まない事情での彼の性格とは、その様なモノである。気になる事は確かめる、そして純粋に、自らが楽しいと思う事をする。少なくとも、これは必要最低限の、人間の欲望に忠実だと、思っている。
だが世の中とは良く出来て居るモノである。その様な周りと考えて、“非日常”と云うものは、物理法則や、様々な科学的観点で考えると、どれも有り得ないの一言で片付けられてしまうものなのである。その中には、魔術や、若しくは漫画、ゲームで出てくるアドベンチャーと云う事柄も含まれる。
そんな考えを持つ事は、少年時代の人間にとって、此の世に対する小さな復讐だったのであろう。この世界に、彼らを楽しませる非現実と呼ばれる、ゲームの世界の物語は広がっていない。
少年だった氷室は、そんな世界に対して、別段復讐心を持つ事は無かった。この世界にその様な非現実が存在しない事は最初から解りきっていた事であり、それを態々復讐対象にする事など、疲れるだけである。……今の現実を楽しくするのは、金だ、と解っていたと云う事柄もあったのであるが……
そんな彼が最終的に行き着く先は、「執事」と呼ばれる、主を守る職業である。実際の、一般的な常識での執事と云うのは、年配の人間が、主の身の回りの事をする役職であり、守るのはSPや、ボディガードの役割では無いかと思われているが、実際には、主の盾となり、時には強力な剣となるモノ……先に述べた、周りの世話をするのは、メイドの役割である。
代々、優秀な執事を輩出してきた。その中の一人として、少年、冴木氷室は、幼い頃より執事としての感覚を掴んできた。無論、この執事と呼ばれるモノは金になるとも知っている。優秀であれば、優秀であるほど、その金銭は高く積まれていく。
故に常に氷室は己を強くし続けてきた。一流――そう呼ばれる執事になる為に……もとい、金の為に……
そうして、彼はなった、一流と呼ばれる執事となり、現在は財閥の跡取り息子の執事を任されている。莫大な金が自らに入ってくる。する事全て、金でコントロール出来る。
矢張り、金は裏切らない。この世を非現実にするのは金だ。現実を楽しくするのも金だ。氷室はそれに溺れて、今此処まで来ている。
――だが最近どうも楽しみが少ないと感じていたのである。確かに、金で如何ともなる、それは解ったのであるが、金では如何し様も無いモノがある事に、気付き始めていたのである。無論、楽しいと思えるものが全く皆無と云う訳ではない。昔より続けている金を使っての、所謂“遊び”は楽しい、至福のひと時である。
では、何が足りないのか……それは、スリルだ。スリルが足りない。
それを金で買ってみようと思った。様々な事柄を試してみた――ジェットコースター、金銭ゲーム、麻雀、ポーカー……どれもつまらないものであった。遊びとしては純粋に楽しめた。
スポーツでもすれば良かったのだろうか? 考えてみれば此処までの人生、執事にのみ、金銭にのみ、目が行っていたとも考えられる。
だが結局は違う。憂鬱な日が続くが、別段楽しくないとは思わない為に、何時も通りの日々を続けていた。白皇学院に入学し、通い、そして自らの主を守り、金を取引する。それだけで満足しようとしているのである。
故に、今、氷室の目の前に居る人物が、どれ程自分を楽しませてくれる対象になり得るのか……心底楽しみであった。
執事と云うモノは、常に主を守ると決められたモノ……そして目の前に存在している少年は、本当に執事なのか……?
聞けば、この白皇学院生徒会長、桂ヒナギクと云う人物は、家柄的には普通の家に毛が生えた様な感覚の金持ち……つまり、庶民が少し金を手に入れる様になったからと云う程度。氷室の知る、三千院家や、鷺ノ宮、愛沢の様な大富豪家とは違う。そして今まで、ヒナギクは執事を雇っては居なかった。
もしその噂が健在なら、この場に居る少年は一体何か……本当に桂ヒナギクの執事なのか。しかし、執事にしては、先程の戦闘時の実力は大した事は無い――実際は、かなりの実力だと踏んでいるのであるが――、執事としての養成プログラムを本当に受けているのか謎の所である。
格好は華奢だ、無駄な贅肉一つ存在していない。だが、決して筋肉が無いと云う訳ではない、その体には、恐らく考えられない程の力が秘められているのであろう。他にも、背丈は、ヒナギクよりも少し高い程度、そこまでの身長差は無いであろう。服装は、どう見ても執事には見えない――これは氷室自身にも言える事であるが。
「問おう、キミはなんだい?」
氷室からの突然の言葉に、ハヤテは首を捻って、ヒナギクを見る。と、ヒナギクも同じ様に、解らない、の意志の表示である、肩を竦める。そして再び視線を氷室の方に向けると、氷室はふむ、と一言、唸った。顎を擦りながら、その視線はあくまで、ハヤテを捉えたままである。
――矢張り考えすぎであろうか? 氷室は思う。しかし、先、此処に来る前に、喩え違ったとしても執事で無く、彼女を支えるのは何故か、と云う問いを聞く事が出来る、と云う思考をした事を思い出す。
もう一歩、前に出て、今度はハヤテと本当に密着するかどうかと云う所まで来る。
「……キミは、生徒会長の執事かい?」
「は、はぃ?」
訳が解らない、ハヤテは一歩後ろに下がる。
自らが……ヒナギクの執事? そもそも、執事とは元々家に居るモノでは無いのであろうか……そう考えたのであったが、兎に角、この人物にははっきりと伝えた方が要らない誤解を与えない様な気がした為に、ハヤテは口を開いた。
「僕はヒナギクさんの執事じゃありません」
「はて、では何故キミは生徒会長と共に居るのか……僕には、キミが生徒会長の身内だとは思わないけどね……」
それは些か軽率な考えであるが……
「えーと……それは……」
どう言ったものか……まさか本当にこの人物にも言わなければならないのか。現在、桂ヒナギクの家に居候になっている事を。そもそも、何故この人物はその様な事を気にするのか、それが理解出来ない。まさか本当は知っていて言っているのでは無いのだろうか。
「貴方はどうして僕の事をそこまで知りたがるんですか……」
その問いに対して、氷室は目を細めて――
「別に。只の興味本位だよ」
そう、平然と言ってのけた。
ソレに対してアクションをしたのはヒナギクであった。氷室と同じ様に、目を細めてハヤテの目の前に立つと、腰に手を当てて、氷室の言葉に対して言い放つ。
「……氷室さん、それ、余計なお世話って言うのよ。それに、興味本位でハヤテ君の事情をほじくるのは、良くないと思うけど?」
流石にその言葉には氷室の返す言葉が見付からないらしい……
“――仕方ない、今日は撤退するとしますか……”
「けど、益々興味が湧いたよ……謎の少年くん」
コートを翻して、氷室はその場を立ち去った。
■■■
結局の話、あの冴木氷室と云う人物は何をしに来たのか。本当に只、ハヤテの事情が知りたかっただけなのか……
剣道場で、その様な事を野々原楓に相談してみた。
「そうですね……彼は色々と謎の多い人ですから。あ、素性的な事ではなくて、内に秘めているモノ、と云う事です。一見、金にしか目が無い様に見えますけど、実際、底に何を抱えているのか解りかねる人物ですよ」
その様な言葉が返ってきて、はぁ、とハヤテは返す。成る程、訳が解らない、と印象を持ったのはハヤテだけではないと云う事である。他の人物も、その様な事を感じていると云う訳である。益々解らなくなった様な気がする。
執事と云う職業に就いていてあの様な事になったのか、と考えたが、そうなれば楓も同じ様な事が言えるのである。……無論、全ての人間が執事と云う職業に就いて狂うと云う訳ではないが、少なくとも、常人がやっていればどうにかなる様な感覚である。
因みに、楓自身は、どうも思わないと云う。元々、執事養成機関に居た人間であり、執事に関しての事柄を色々と叩き込まれている為であるとは、本人談である。
「執事と云うものは、色々と大変なんですよ。大体の人間が、養成機関を得て、執事と云う職業に着任しますからね。かく言う僕も、そういう人間ですから」
「執事も大変なんですね」
「まぁ。……そう言う綾崎君も、執事とまでは行きませんけど、色々と大変でしょう?」
「いえ、僕は楽しくやっていますよ。毎日掃除とか、洗濯とか、料理とか。嫌いって事はありませんね」
「それは感心ですね。――どうです? いっその事、桂さんの執事になっては?」
「……執事……ですか……」
この学院には多くの執事が存在していると言う。目の前に存在している楓も執事である。そして、先の氷室と云う人物もまた、執事であると言う。
そもそも、執事とは何をする職業なのか。それよりも、今居候していると云うのに、執事になってなにが変わると云うのか。
「執事は常に、主を守るのが務めです。加えて、主を良き方向に持っていく事が使命です」
「守る……ですか……」
視線を目の前に移すと……
「面ーッ!」
「……守る必要、無いような気がするんですけど……」
それに対して、楓は返す言葉を失った。
――兎に角、執事とはその様な役割、と云う事である。
to be continued......
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